藤原內麻呂
藤原內麻呂(ふじわら の うちまろ、天平勝宝8年(756年) - 弘仁3年10月6日(812年11月13日))是奈良時代至平安時代初期的公卿。出身於藤原北家,是大納言・藤原真楯的三男。官至従二位・右大臣、贈従一位・太政大臣。又有後長岡大臣的稱號。[1]
因平定平城上皇的政變有功,頗受嵯峨天皇的信賴。成為藤原北家在政治上發跡的濫觴。