信玄一期の佳運、今日を限って命を没す。我三戸の小国を以って隣国他郡を攻め伏せ、策を帷幄の中に廻らし、敵を鉄鉞の下に亡ぼす。一事として欝望を散ぜざるなし。然りと雖も旌旗を帝都に挙げざるの儀は、妄執の随一なり。信玄命を亡ぼすの由露顕せば、当方の怨讎時節を窺ひ蜂起すべきは必なり。三四霜の間、勤めて批判を秘し、先づ封内の備を堅め、国家を鎮め防ぎ、義卒を撫育し、一度花洛に責め上るべきこと、縦へ生死両頭を離れ、金剛実体となると雖も、歓喜たるべきの由、僅かに遺誡あり。
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