河合奈保子檢視原始碼討論檢視歷史
河合奈保子河合奈保子(日語:河合 奈保子,1963年7月24日-),是日本80年代早期極受歡迎的女性偶像歌手、創作歌手、演員。精通多種樂器,包括鋼琴,吉他,曼陀林,合成器等。她的寫真集到現在也還在古書市場十分搶手。並且天真爛漫坦率的外貌及性格也讓她成為了著名漫畫家中西裕漫畫里的少女模型。
生平
1963年7月24日,河合奈保子於日本大阪府大阪市住吉區出生,父親是一家醫院的職員。她是家中長女,有一個小她三年的妹妹。 河合奈保子曾就讀大阪市立粉濱小學、大阪市立住吉第一中學和大阪女子學園。在住吉第一中學就讀期間,河合曾加入民歌學會。 1979年,當時初二的河合參加日本電視台節目《一個明星的誕生! 》,但在候選人篩選階段中被淘汰。
偶像歌手年代
1979年12月,藝映以所屬藝人西城秀樹的名義舉行「秀樹的兄弟姐妹招聘勁舞團」比賽以發掘新人。河合在招募截止之前不久知道有這次比賽,在報名截止之前一天報名[1]。河合奈保子以《一邊聽著奧利維亞》一曲參加初選,其後因大阪地區的選手全部通過選拔,於是大阪原有的1個決賽名額增至2個,她亦因此能代表大阪參加該比賽的總決賽。 1980年3月16日在東京中野太陽廣場舉行的決賽中,河合以《春天啦!啦!啦! 》一曲勝出[1]。 1980年6月1日,她以「西城秀樹的妹妹」的名義以《大森林的一個小房子》一曲出道。與此同時,她亦入讀明治大學附屬中野高中,並在該校畢業。憑著清亮的嗓音及親切的笑容,河合很快就受注目,並囊獲當年多項新人獎。同期出道的歌手包括松田聖子,岩崎良美,田原俊彥,三原順子及同一天出道,也是同樣來自大阪的柏原芳惠等等。。
1981年10月5日下午4時左右,當時出道1年左右的河合在參加日本放送協會節目《讓我們年輕》時從四米高的舞台升降機口跌下導致第一腰椎壓縮性骨折[2] ,在約2個月治療後康復,並在同年11月30日播出的《夜命中工作室》節目中復出。 1981年12月31日,河合首次獲邀參加第32屆NHK紅白歌唱大賽,演唱歌曲《對我微笑》。此曲也是河合第一首打入公信榜十大的單曲。至到1986年,河合連續6年登場紅白。 1983年夏季推出的《Escalation》雖然只上到公信榜的季軍位置,但卻是河合銷售量最好的一張單曲。而在1985年為慶祝出道五週年發表的 《Debut~Fly me to love》則是河合出道多年的首張也是唯一的冠軍單曲。 1983年至1988年間的7月24日,河合都在讀賣樂園舞台上舉行了生日音樂會。
唱作歌手年代
1986年,河合轉型為創作歌手,並在同年推出由她包辦作曲的《Scarlet》大碟。大碟中的主打歌曲《月半小夜曲》後來被香港歌手李克勤翻唱為同名粵語歌曲。同年,河合以23歲之齡加入日本作曲家協會,是當時日本作曲家協會最年輕的會員。從 《月半小夜曲》到1994年最後一張單曲《夢の跡から》,河合發表了12長單曲,其中有9首是由她自己作曲。 1987年4月,京都放送舉行《蝸牛大作戰》以響應京都的交通安全運動,並決定為節目挑選主題曲。河合奈保子於是譜出《仁慈的禮物》一曲,並在《蝸牛大作戰》的舉行地點KBS大廳唱出。同年7月,河合亦成為香港無綫電視新秀歌唱大賽的評判。其後,河合奈保子亦在翌年再度擔任該比賽的評判,並與香港歌手成龍合唱《愛的小夜曲》一曲。同年在日本推出的個人作品單曲 《十六夜物語》獲得了第7回日本作曲大賞的優秀作曲者賞和第9回プラハ國際音楽祭中的最優秀歌唱賞,再次證明了她作曲及唱功的實力。可惜的是,河合並沒有受邀參加該年的紅白,從此告別了這個一年一度的歌壇盛事。
演藝生涯後期
1989年,河合開始減少在樂壇的活動,改為在音樂劇界發展。她亦憑《戀人幽靈》一劇出色的表現獲得第27屆金箭獎戲劇組的最優秀新人獎[2]。1996年,33歲的河合奈保子與髮型師金原宜保結婚後全面退出娛樂圈,結束了16年的演藝生涯。 2006年4月26日,已經退出演藝界十年並定居於澳洲黃金海岸的河合奈保子,在Apple iTune Music Store上發表了她個人的鋼琴作品集《nahoko 音 Blue》與及《nahoko 音 Orange》。這不但是河合停止藝人活動後的第一次對外發表作品,更是她的第一張鋼琴作品集。 2016年6月份河合則為日本唱片專輯 《Tokyo Bossa Nova Cafe》提供了她自己的一首作品 《哀しみをしるまえに》回饋歌迷。同年8月日本方面也出版了河合多年前偶像時代的泳裝寫真精選「再會の夏」,令堅絕不再露面的河合再度受到關注。
個人生活
曾與香港演員成龍傳出緋聞,但雙方都出面否認。河合只大方承認自己是成龍的忠實影迷並曾經私下見面用餐,加上在1988年在香港合唱了一首歌,僅此而已。 1996年2月1日,河合與髮型師金原宜保低調結婚並退出了歌壇。婚後育有一子一女。2013年其14歲二女兒kaho正式出道成為創作歌手,並曾演唱電視劇《Miss PILOT》的主題曲。
1 河合奈保子 -簡介
河合奈保子 不但歌唱力出色,而且演奏鋼琴·吉他·曼陀林·合成器,作詞作曲親自也親自動手等,非常高貴的音樂性具有。加上後邊的雜誌模特兒也懂的風格裝飾,她的寫真集屢次保持著雜誌的凹版相片和偶像游泳大會2006年的現在也還在古書市場根深蒂固的受歡迎。並且天真爛漫坦率的性格也成為了中西裕的漫畫的模型。是1980年代的紅歌星·偶像一人。2006年4月26日發表了鋼琴作品集。
2 河合奈保子 -出道時間
河合奈保子是參加類似"西城秀樹的弟妹"的選修活動而進入娛樂圈。在1980.6.1發表的大きな森の小さなお家正式出道,同年出道的藝人包括田原俊彥、松田聖子、柏原芳恵。 3 河合奈保子 -受傷
1981.10.5日,NHK發送節目レッツゴーヤング在舞台上不慎踩進洞口,跌落四米高的台下地面,導致腰椎骨折斷,堪稱演繹圈當時最大的事故,幸好並無大礙,同年11月30日富士台放送的著名節目夜のヒットスタジオ正式回歸,同年12月31日第32回NHK紅白歌合戦以單曲スマイル・フォー・ミー初回出場。
4 河合奈保子 -發表單曲
大きな森の小さなお家(1980年6月1日) 作詞:三浦徳子作曲:馬飼野康二編曲:馬飼野康二河合奈保子
ヤング・ボーイ(1980年8月25日) 作詞:竜真知子作曲:水谷公生編曲:船山基紀
愛してます(1980年12月10日) 作詞:伊藤アキラ作曲:川口真編曲:船山基紀
17才(1981年3月10日) 作詞:竜真知子作曲:水谷公生編曲:船山基紀
スマイル・フォー・ミー(1981年6月1日) 作詞:竜真知子作曲:馬飼野康二編曲:大村雅朗
ムーンライト・キッス(1981年9月1日) 作詞:松本禮児作曲:馬飼野康二編曲:竜崎孝路
ラブレター(1981年12月5日) 作詞:竜真知子作曲:馬飼野康二編曲:若草恵
愛をください(1982年3月10日) 作詞:松宮恭子・伊藤アキラ作曲:松宮恭子編曲:若草恵
夏のヒロイン(1982年6月10日) 作詞:竜真知子作曲:馬飼野康二編曲:若草恵河合奈保子
けんかをやめて(1982年9月1日) 作詞:竹內まりや作曲:竹內まりや編曲:清水信之
Invitation(1982年12月1日) 作詞:竹內まりや作曲:竹內まりや編曲:大村雅朗
ストロー・タッチの戀(1983年3月1日) 作詞:來生えつこ作曲:來生たかお編曲:若草恵
エスカレーション(1983年6月1日) 作詞:売野雅勇作曲:筒美京平編曲:大村雅朗
UNバランス(1983年9月14日) 作詞:売野雅勇作曲:筒美京平編曲:大村雅朗
疑問符(1983年12月1日) 作詞:來生えつこ作曲:來生たかお編曲:大村雅朗
微風のメロディー(1984年3月1日) 作詞:尾崎亜美作曲:尾崎亜美編曲:大村雅朗
コントロール(1984年6月1日) 作詞:売野雅勇作曲:八神純子編曲:鷺巣詩郎
唇のプライバシー(1984年8月28日) 作詞:売野雅勇作曲:筒美京平編曲:鷺巣詩郎
北駅のソリチュード(1984年12月1日) 作詞:売野雅勇作曲:筒美京平編曲:萩田光雄
ジェラス・トレイン(1985年3月5日) 作詞:売野雅勇作曲:筒美京平編曲:萩田光雄
デビュー/MANHATTANJOKE(1985年6月12日) デビュー~FlyMeToLove作詞:売野雅勇作曲:林哲司編曲:鷺巣詩郎 MANHATTANJOKE作詞:秋元康作曲:大野雄二編曲:大野雄二/映畫『ルパン三世バビロンの黃金伝說』主題歌
ラヴェンダー・リップス(1985年10月3日) 作詞:売野雅勇作曲:林哲司編曲:萩田光雄
THROUGHTHEWINDOW~月に降る雪~(1985年12月12日) 作詞:PeterBeckett/訳詞:売野雅勇作曲:PeterBeckett編曲:TomKeane&HumbertoGatica
涙のハリウッド(1986年4月1日) 作詞:売野雅勇作曲:林哲司編曲:萩田光雄
剎那の夏(1986年7月24日) 作詞:売野雅勇作曲:筒美京平編曲:船山基紀
ハーフムーン・セレナーデ(1986年11月28日)-アルバム「スカーレット」からのシングルカット 作詞:吉元由美作曲:河合奈保子編曲:瀬尾一三
想い出のコニーズ・アイランド(1987年3月1日)-アルバム「スカーレット」からのカット、カセットテープのみ 作詞:吉元由美作曲:河合奈保子編曲:瀬尾一三河合奈保子作詞:公文健作曲:河合奈保子編曲:小林信吾
悲しみのアニバァサリー(1989年11月10日) 作詞:さがらよしあき作曲:河合奈保子編曲:橫倉裕コーラス編曲:ミッキー吉野
美・來(1990年4月10日) 作詞:さがらよしあき作曲:河合奈保子編曲:ミッキー吉野
眠る、眠る、眠る(1990年9月1日) 作詞:麻生圭子作曲:都志見隆編曲:ミッキー吉野
Goldensunshineday(1992年6月21日)-「近藤正臣の味覚人情報」(毎日放送製作・TBS系)テーマソング 作詞:ミッキー吉野作曲:河合奈保子編曲:ミッキー吉野
エンゲージ(1993年10月21日) 作詞:吉元由美作曲:岸正之編曲:清水信之
夢の跡から(1994年3月21日) 作詞:八島義郎作曲:河合奈保子編曲:若草恵
5 河合奈保子 -紅白出場(連續六回)
第32回(1981年)「スマイル・フォー・ミー」
第33回(1982年)「夏のヒロイン」
第34回(1983年)「UNバランス」
第35回(1984年)「唇のプライバシー」
第36回(1985年)「デビュー~FlyMeToLove」
第37回(1986年)「ハーフムーン・セレナーデ」
6 河合奈保子 -獲得獎項
1980年 第7回ABC歌謠新人グランブリ審査員奨勵賞(10月2日、放送10月10日)-ヤング・ボーイ 第10回銀座音楽祭熱演賞(10月9日)-ヤング・ボーイ 第13回新宿音楽祭銀賞(10月16日)-ヤング・ボーイ 第7回橫浜音楽祭新人賞(10月22日) 第6回あなたが選ぶ全日本歌謠音楽祭優秀新人賞(11月11日)-ヤング・ボーイ 第22回日本レコード大賞新人賞(11月26日ノミネート)-ヤング・ボーイ 第7回FNS歌謠祭優秀新人賞(12月2日ノミネート)-ヤング・ボーイ
1981年 第18回ゴールデン・アロー賞グラフ賞(2月16日、放送2月21日) 第7回日本テレビ音楽祭金の鳩賞(8月20日)-スマイル・フォー・ミー 第23回日本レコード大賞ゴールデン・アイドル賞(11月25日ノミネート)-スマイル・フォー・ミー河合奈保子
1982年 第24回日本レコード大賞金賞(11月24日ノミネート)-けんかをやめて 第9回FNS歌謠祭優秀歌謠音楽賞(12月7日ノミネート)-けんかをやめて
1983年 第2回メガロポリス歌謠祭ポップス部門入賞(7月1日) 第25回日本レコード大賞金賞(11月23日ノミネート)-エスカレーション 第10回FNS歌謠祭優秀歌謠音楽賞(12月6日ノミネート)-UNバランス 第9回あなたが選ぶ全日本歌謠音楽祭最優秀アイドル賞(10月25日)-UNバランス
1984年 第10回日本テレビ音楽祭日本テレビ特別賞(9月6日) 第11回橫浜音楽祭音楽祭賞(10月17日) 第15回日本歌謠大賞放送音楽プロデューサー連盟賞(11月20日)-唇のプライバシ- 第26回日本レコード大賞金賞、優秀アルバム賞(11月28日ノミネート)-唇のプライバシ-、デイドリーム・コースト 第10回あなたが選ぶ全日本歌謠音楽祭最優秀歌唱賞(10月30日) 第11回FNS歌謠祭優秀歌謠音楽賞(12月4日ノミネート)-唇のプライバシー
1985年 第12回橫浜音楽祭音楽祭賞(11月8日) 第11回あなたが選ぶ全日本歌謠音楽祭審査員奨勵賞(11月12日)-ラベンダーリップス 第27回日本レコード大賞金賞(11月20日ノミネート)-デビュー
1986年 第13回橫浜音楽祭音楽祭賞(11月7日) 1987年第7回日本作曲大賞優秀作曲者賞(10月)-十六夜物語 第9回プラハ國際音楽祭最優秀歌唱賞・3位入賞・書記長賞(10月26日)-十六夜物語
1990年 第27回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞・最優秀新人賞(2月26日、放送3月11日)-THELOVERinME戀人が幽霊。
視頻
參考來源
^ http://www.twword.com/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%A5%88%E4%BF%9D%E5%AD%90 -河合奈保子