小田稔檢視原始碼討論檢視歷史
小田稔 (1923年 - 2001年)宇宙物理學者。札幌市出身、大阪帝國大學物理學科を卒業後、同大學助手、大阪市立大學助教授、1956年に東京大學原子核研究所に移る。実験物理學からスタートして電波天文學に転向、1953年マサチューセッツ工科大學留學を機に宇宙線天文學、X線天文學を専門とするようになった。1966年、X線天體のロケット観測で精密位置測定を可能にしたすだれコリメータを考案、同年にはX線星Sco X-1の光學同定を岡山天體物理観測所で壽岳潤らと行っている。これらX線天文學への功績で1975年に日本學士院恩賜賞を受賞。1979年のX線天文衛星「はくちょう」を皮切りに「てんま」、「ぎんが」、「あすか」など一連のX線天文衛星を打ち上げ、日本のX線天文學を開花させた。宇宙科學研究所長、理化學研究所理事長を歴任、1964年仁科記念賞、1970年東レ科學技術賞、1986年文化功労者、1993年文化勲章に加えて、1987年フォンカルマン賞、1996年COSPAR賞なども受章。英國、ヨーロッパ、インド、バチカンアカデミーの各會員ともなった。 [1]
生平
1923年,小田稔出生於北海道,父親為醫學家小田俊郎、外祖父是日本醫學家堀內次雄[2]。
1934年,小田稔與就任台北帝國大學教授的父親移居台灣[3],之後就讀台北高等學校[3]。
1944年9月,小田稔畢業於大阪帝國大學理學部物理學科。1946年,小田稔擔任大阪帝國大學理學部助手。1950年,小田稔成為大阪市立大學理工學部助教授。
1953年,小田稔留學麻省理工學院。
1956年,小田稔擔任東京大學原子研究所助教授,同年12月,小田稔成為大阪大學理學博士。
1963年,小田稔擔任客座教授
1966年,小田稔擔任東京大學航空研究所教授
1984年,小田稔擔任東京大學航空研究所所長,成為英國皇家天文學協會特別會員。
1988年4月,小田稔擔任理化學研究所理事長。
獎項
著作
- 『宇宙線』(裳華房物理學選編1960年,1972年修訂版發行)
- 『宇宙的探求』(中央公論社內公新書1970年)
- 『星的誕生和進化·X射線星和高密度星』(日本經濟新聞公司另冊science 1973年)
- 『X射線天文學』(中央公論公司自然地選編1975年)
- 『宇宙科學的最尖端·宇宙科學的四分之一世紀』(第2次「大學和科學」公開討論會組織委員會1988年)追
- 『藍的星』(日經science公司自傳1990年)